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シリーズ 救命の輪をつなげ!女性救命士

第7回

大切なことは、耳を傾けること

阿部 幸枝(あべ ゆきえ)


所属:仙台市消防局 若林消防署 予防課予防係 
名前:阿部 幸枝(あべ ゆきえ)
出身:宮城県塩釜市
救命士取得:平成15年1月
消防士拝命:平成11年4月1日
趣味:ランニング、ヨガ、料理


シリーズ構成

冨高 祥子(とみたか しょうこ)
会津若松地方広域市町村圏整備組合消防本部 会津若松消防署



○はじめに

 仙台市は宮城県のほぼ中央にあり、東は太平洋に面し、西は山形県に接しており、面積は785.85Iで、人口およそ107万人の政令指定都市です。

 仙台市消防局は1本部、6署、3分署、17出張所、仙台市立病院敷地内にある救急ステーション、消防航空隊(仙台市消防ヘリポートが津波被災のため、現在は仙台空港を暫定的に活動拠点としている)で構成されており、1,091名の職員が業務にあたっています。

○救急救命士を目指したきっかけ

 私が大学4年生で就職先について悩んでいた時、当時消防士だった父が、私に消防士の採用試験を受けてみるのも良いのではないかと勧めてくれたことが始まりです。家ではほとんど仕事の話はしない父なので、私は消防について何も知識がなく、「消防士の仕事って・・・火消しでしょ?女性が消防士になるってどうなの?」としか考えませんでした。そして数日後、偶然、救急救命士のインタビューが新聞に載っているのを目にし、救急隊で働く救急救命士も消防士だと知りました。その業務について調べるうちに救急救命士という仕事に魅かれ、気が付くと救急振興財団に電話していました。

 「救急救命士になる方法を教えて下さい!」そんな突然の質問に、財団の方は、様々な資格取得方法を丁寧に教えてくれました。そして私は、消防士として現場経験を積んで救急救命士になることを選び、消防士の採用試験を受験することにしました。

写真4 夏休み・親子げんさい教室にて。
ラップやゴミ袋等、身近にある物でできる応急手当を実施。

 
○やっと分かった、大切な事

 救急救命士の資格を持ち、救急隊として勤務して数年が経過し、救える命は本当に数少ない事を思い知らされました。だからこそ、可能性があればすぐ発揮できるスキルが欲しくて、何でも吸収しようと躍起になり、勉強会や研修があれば可能な限り出席していました。

 そしてある日。
「70代男性、胸痛を訴え倒れたとの奥さんからの通報です、意識ない模様。よろしくお願いします。」無線から淡々と流れる指令内容に、緊張と興奮が高まっていくのが分かりました。現場到着時CPA状態。1回の除細動で心拍再開し、搬送している車内で呼吸も再開しました。心拍再開とほぼ同時に頸動脈で強く波打つように脈が触れ、「グァァーーー」と、天を仰ぐかのように顎が動き、肺いっぱいに息を吸い込むように呼吸が再開、そして手が動き、観察している隊員の服を何度も何度も引っ張ろうとしました。そして、病院到着。

「何も出来なかった・・・。」
先生への引き継ぎが終わっても緊張が解けず、もっと何か出来なかったのか、これで良かったのか、ずっと考えていました。救命できたのに、嬉しさよりも違和感がずっと心に居座っていました。

 それからまた数年が経過した頃、同じ家への出場指令が入りました。現場到着すると、男性が玄関に座っていました。ゆっくりこちらを見上げたその男性は、まさに、私たちが蘇生したその人でした。CPRを施した傷病者が生きて目の前にいることに驚き硬直している私に、隊長は「どうした?」と声をかけてくれましたが、「前にCPAで搬送しました、生きてる・・・」としか言えませんでした。

 救急隊は、搬送後に病院で引き継ぎを行うと、その後傷病者に会うことはなく、予後を数年後まで追うことができません。元気になったその人に会えただけで、私は感無量になってしまいました。搬送中の救急車内で、男性が奥様と話す姿を見て、以前感じた「違和感」の意味がようやく分かりました。

 CPAの傷病者の心拍・呼吸が再開しても違和感が拭えなかったのは、それが目的ではなかったから。救急隊が目指すのは、傷病者が再び家族と会話をし、生活することであって、心拍再開や呼吸再開はあくまで通過点であることが見えていませんでした。スキルアップの目的を「心拍再開、呼吸再開」と思い込み、視野を狭め、本来の目的を見失っていた気がします。

 救急救命士とはどう判断・活動するのが望ましいのかを考えていた私に、「救急救命士がリードして人を助けると考えてはいけない。人が病気や災害、事故にあった時、それでも生きようとする力をサポートするのが仕事なんだ。」と、方向性を教えてくれた事案でした。

 「その時何をすべきか」は、現場で会った時から傷病者が声と体とバイタルサインをもって懸命に教えてくれるもので、それに従って救急救命士はケアをするのだと感じた時から、少し肩の力が抜け、「傷病者の方々から素直に教えてもらう」ことがとても多くなった気がします。

写真3 夏休み・親子げんさい教室にて。
いざという時に手を差し伸べる、ほんの少しの勇気の大切さについて話しました。

○東日本大震災

 平成23年3月11日、その災害は起こりました。私は週休で外出しており、参集までに数時間を要しました。その間に、ラジオで大津波の襲来を知りました。津波被災地の中には、私が勤務する消防署の管区も含まれていました。その状況は他の国のニュースでも聞いているかのようで、参集するまでは、現実を受け止められずにいました。

写真1 仙台市若林区に大津波が来襲した瞬間。

 署に到着すると、すぐに指示が飛びました。「津波に流されて、検索隊に引き上げられた人が広報車で搬送されて来る!阿部も一緒に乗って病院まで頼む!」資器材もモニターもない軽ワゴン車の広報車の後部席に、泥だらけの板一枚。その上に毛布で包まれた男性が乗せられていました。手当たり次第集めた資器材を詰め込んだバッグと救急記録票を持ち、乗り込むと同時に、「分かりますか!!」私は大声で呼びかけました。ライトで照らすと、男性は全身泥だらけでガタガタ震えており、顔に泥がこびりついて、瞼を開けられない状態でした。ここからは、署に戻るとすぐに出場の繰り返しでした。今思い出すと、震災直後の数日間、何をしていたか、どんな状況だったか、よく覚えていないのです。ただ忙しく、疲れ、涙も出ないほど悲しく、お腹が空いて、泥だらけで必死でした。一日に20件以上出場し、余震が来るたびに目覚めるために仮眠も十分でなく、疲弊していました。

写真2 津波被災地の傷病者を乗せて走った救急車。泥汚れで真っ黒でした。

 「緊急援助隊です、よろしくお願いします。」緊急消防援助隊の方々が被災地に入って下さった時、光が差したように、気持ちが温かくなりました。慣れない土地に来て下さったのに、雪の降る寒い季節に十分な寝床や食料も準備できない状況の中、「食料も十分持って来ましたから、私達は大丈夫です。それよりも皆さん疲れたでしょ。少しでも被災地の救急隊の負担を減らすために来たんですから、その分少しでも休んで下さい。」と、被災地での救急活動に従事して下さいました。一緒に活動できた数日間、いつもとは違う資器材や活動を見せて頂き、色々なお話を聞くこともでき、勉強になりました。緊急消防援助隊として被災地入りして下さった方々に、本当に感謝しています。

 震災から間もなく4年、動きは復旧から復興へと既にシフトし、仙台市は「全力復興」をモットーに、震災前よりも強い市民の力をベースにした、安全な住みよい都市を目指して前へ進んでいます。

○出産、育児と仕事

 「出産」、私にとって地球の裏側に感じるほど、縁のない言葉だと思っていました。その時すでに38歳。結婚はしたものの、自分がまさか母親になるなんて考えてもみませんでした。でも、自分を選んで来てくれた大切な小さな命を絶対に大切にしようと決めました。

 ちょうど、娘が1歳になる頃に育児休業から復帰しました。復帰先は、火災予防や防災を担当する係で、自分がどれだけ救急以外の事を知らずに過ごして来たかを思い知らされました。現在は、婦人防火クラブや少年消防クラブ、町内会等の自主防災組織などの防火・防災普及啓発をメインに、その統計処理なども行っています。市民の方々と地域の防火防災について一緒に考える事ができる、とてもやりがいのあるポジションです。初めは、分からないことばかりで悩みましたが、きっと意味があって、縁あって配属された部署。自分だからこそ出来ることが必ずあると思うようになりました。
今の業務で救急と共通しているのは、「その時必要なことは、市民の方々が教えてくれる」ということ。防火防災知識はどんどん更新され、「その時必要な情報や知識」は、いつも変わらず同じとは限りません。これからも「耳を傾け、教えてもらう」気持ちを大切に、また、育児と仕事の両立に協力してくれる方々への感謝を忘れず、業務に取り組んでいきたいと思います。

                             


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15.11.9/11:09 AM