再び気管挿管を考える

今年8月に出たプレホスピタル・ケアの特集「気管挿管を考える」の中にあった境田康二先生の論文1)に私は衝撃を受けた。境田先生は気管挿管が救急現場で威力を発揮することはないとし、救命に必要なものは何か考え直せと結んでいる。私自身は前にも書いたように救命士が挿管することに賛成であるし、秋田や酒田の気管挿管事件は結果として救命士に挿管を認めるほうに世間を動かしたと好意的に受け止めていた。しかし出来上がったカリキュラムを読んだ時には、そのあまりのハードルの高さに「手術室に勤務していなくて良かった」と思ったものである。アメリカ流のインフォームドコンセントを徹底するなら(先生がそう仰るなら、ではなく自由に方法を選択できるなら)だれが医者でもない素人に自分の命を預けるだろう。
今回は今年9月に出た論説2)をもとに再び気管挿管を考える。

未だ評価の定まらない気管挿管
2003年になっても病院外外傷患者に対する気管挿管の評価は定まっていない。過去に出た2034編の病院前気管挿管の論文のうち前向きコントロール研究はわずかに1編しかない3)。別の臨床的総説4)では気管挿管の成功率が57%から92%までまちまちなことを取り上げ「救急隊員は挿管に必要な技術をマスターできるだろうか」と、救急隊員を取り巻くシステムに疑問を投げかけている。ロンドンでのドクターヘリの例5)では、486名に対して医師が無麻酔で気管挿管を行ったが結局助かったのはたったの一人(0.2%)であったことから、無麻酔で挿管できるような患者に対して挿管するだけの意味があるのだろうかと論文では問いかけている。
今回解説する論説2)を著わしたのはデンマークのICU医で、デンマークでは救命士は気管挿管できない代わりにドクターカーが一般的である。人口33万人のアーフス市では重症患者発生の場合には麻酔科医を乗せて現場に出て行く。1998年から2000年の間に筆者のICUでは741例の外傷患者に遭遇した。そのうち外傷重症度スコア15点以上の重症外傷症例は220例で病院まで搬送したのは172例であった。病院前で気管挿管をした症例は172例中74例で43%であり、74例中の挿管時に麻酔薬を必要としたのは62人で36人が半年後にも生存していた。それに対して74例中麻酔薬を必要としなかったのは12例で半年後にも生存していたのは1例のみであった。
この1例を高いと見るか低いと見るか。著者らはたった一例であっても12例中1例だから8%になりドクターヘリの0.5%より高率であり、無麻酔挿管は意味があると主張しながらも、条件の悪い救急現場で救急隊員が合併症の多い気管挿管を行うこと、さらに医学的な知識を必要とする薬剤使用が救急隊員に理解され日常的に行われていくことに対しては疑問を呈している。

合併症の多い病院前気管挿管
現場で気管挿管を行った患者では合併症が多く経過も悪いという論文6)も出ている。48時間以内に死亡した重症頭部外傷を除く外傷患者191名についての研究では、78名が現場で挿管をされ113名が病院到着直後に挿管された。この二つの群では年齢・グラスゴーコーマスケール・いくつもの外傷スケールで差はなかった。現場で挿管された患者群と病院到着後に挿管された患者群では人工呼吸の日数で4日、ICU入室日数でも4日、入院日数では3日、現場で挿管された患者群の方が長かった。また肺炎を起こす率は現場挿管群で病院挿管群の1.5倍であった。

SARSの影
今年に入って全く違った観点から救急隊員の挿管行為を見直す動きが出てきた7)。SARSの出現である。SARS患者に対応する時には類似患者を含めて感染防御服に身を包んで対応する。しかし感染の機会は防御服を脱ぐ時に服に付いた飛沫が飛び散ることによって起こる可能性もある。防御服に付くウイルスを減らすためには患者との接触時間を少なくし唾液などの分泌物に極力触れないようにするべきだが、気管挿管は患者との接触時間を増やし、何よりも感染源である患者の口腔内に器具を入れることから感染の危険性が飛躍的に増す。挿管にふさわしい体位もとりづらく回りに人がいっぱいいる現場では慣れた人間でも挿管は難しい。このため論文ではSARS患者に対する病院前挿管は禁忌とすべきと主張している。

気管挿管の位置づけ
こうやって論文を見てくると、気管挿管は救急現場に不可欠な技術ではないと思える。SARSは少し特殊な例ではあるが、感染防御を考える上ではふさわしい事例だろう。
境田先生の論文1)には反感を覚える救急隊員も多いだろう。しかし、私は現場を知る医師しか書けない貴重な論文だと思うし、この論文がなければこの「気管挿管を考える」という特集8)も無味乾燥な、官報のコピーのような代物になったのではないか。私は今でも気管挿管は救急現場に必要な技術の一つであると思うが、その重要度はかなり小さいのだと認識を改めたところである。

引用文献
1)プレホスピタル・ケア 2003;16(4):15-20
2)BMJ 2003;327:533-4
3)Cochrane Library, Issue2, Oxford:Update software, 2003
4)J Trauma 2000;49:584-99
5)BMJ 2001;323:141
6)J Trauma 2003;54:307-11
7)CMAJ 2003; 169:299-300
8)プレホスピタル・ケア 2003;16(4):1-25


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