経験と教育

BTLS, PTCJを統合したJPTECが救急外傷の分野で確固たる地位を占めるに従って、医者の世界でもJATEC(Japan Advanced Trauma Evaluation and Care)が脚光を浴びできた。私もJPTECからJATECに至る連続したデモンストレーションをビデオで見て、その無駄のない動きに感嘆した。

今までの医療の世界は、ともすれば教育より経験を重んじる傾向があったと思う。医者であればオーベンといわれる指導担当医にずっと付き添って、その医者の技術を真似るのが常であった。看護婦の場合は集団指導体勢のようだが、医者よりも経験が幅をきかせているように思える。今回は教育が経験に勝るという看護婦の論文を紹介する。

看護婦の教育レベルと死亡率

アメリカ・ペンシルベニア大学看護学部からの論文1)は、病院における学士看護婦(4年制大学卒業看護婦)の割合と患者死亡率を比較したものである。ペンシルベニア州では病院スタッフの年齢・性別・学歴に加え、患者の入退院や現病歴・合併症などのデータを一箇所に吸い上げるシステムがある。これを利用し、筆者らはペンシルベニア州の168の病院において1年半に外科系病棟を退院した232342人の患者を研究対象としている。注目したのは看護婦の学士看護婦の割合と入院後30日以内の患者蘇生失敗率・死亡退院率である。病院によって患者や看護婦の年齢、患者の疾患などはまちまちなので、補正式を使って補正した後に比較した。

看護婦の経験年数の平均は14年であった。学士看護婦の割合は病院によって0%から77%までとばらつきがあった。対象患者の重症度や病院の規模、教育スタッフの数や高度医療の度合い、看護婦の経験年数、外科手術の種類を補正をした後の値では、学士以上の学歴の看護婦の割合が多いほど患者の死亡率は低下しており、学士看護婦が10%増加すると入院30日以内の死亡率が5%低下することが明らかとなった。

詳細を見るとなかなかすごくて、死亡率は看護婦の教育程度と相関があるだけで、看護婦の経験年数や患者一人当たりの看護婦配置数には関連がなかった。また患者蘇生失敗率では看護婦の教育程度と患者一人当たりの看護婦配置数には関連があったが看護婦の経験年数には相関はなかった。それと面白いのが、受け持ち患者が増えれば死亡率も蘇生失敗率も増えるのが当たり前だが、失敗率の増える度合いは看護婦の教育程度が低い病院ほど大きかった。著者らはこの論文の前年にも、看護婦一人当たりの担当患者が1人増えるごとに患者の死亡危険度が7%上昇すること、看護婦が8人以上の患者を担当した場合には4人以下の担当に比べ死亡率が30%も上昇することを報告している2)。

日本の場合、看護学校が3年制で看護大学は4年制である。緊急の場面だって経験は役立つだろうし、いくら大学を出たからといって卒業した時点で与えられた知識は古くなっていく。それに卒業から14年も経てばどの学校を出てこようと経験したことは同じになる。なのにこのように差が出るのは、大学教育が持つ問題解決能力の育成が卒業しても機能しているということだろう。この研究の対象とした入院30日以内の急性期病棟では、連日の手術や緊急入院で患者の容態は日々変化し、また手術や蘇生に関する知識も日々進歩している。昔の経験に頼らず、新しい知識を柔軟に吸収し患者に対応する能力が急性期病棟には求められており、これは教育により獲得できるものである。

JATECデモで思うこと

JPTECとJATECの一連のデモンストレーションビデオを見ながら、私の脳裏には目の前で死んで行った人たちが浮かんできた。ビデオを持ってきてくれた救急隊員も同じ思いだったようで、こういった症例があったと私に話してくれた。目の前の人が死んで自分の経験とするより、初めから殺さない教育が受けられればどんなに良いことだろう。それほどJATECは自分の経験不足を補って余りある内容である。すべての医師がJATECを履修できれば、救急外来で死亡する患者数はかなり減らすことができそうだ。

ここで一つだけJATECに注文をつけたい。それはあまりに門戸が狭いということ。JATECでは講義内容のレベルを保つため2日間のコース以外は考えてない。休日もなく働いている勤務医にとって2日間の休みをもらうのは非常に難しい。またホームページを見るとインストラクターになるためには救急医学会などの会員である縛りがあり、誰でもなれるわけではないように読める。救急医学会はもともと閉鎖的な色合いの強い学会であると感じてきたが、今もその伝統は続いているのだろうか。医師に広くJATECが定着するように、制度の改善を望みたい。

一般市民の教育と死亡率

市民教育の論文として、おそらく初めてであろう大規模前向き研究の結果が掲載されている3)ので紹介したい。今までの研究のほとんどは過去のデータを掘り起こして討論したものであり、記録や記憶の不備は免れない。前向き研究ならば必要なデータは初めから決まっているため信頼できる研究となるし、規模が大きければ症例を平均化して評価することができる。

この研究では20の郡での一年間の成人病院外心停止症例を集めたものである。生存患者は電話による聞き取り調査により健康指数として転帰を数値化され、死亡が0で全くの健康が1と評価される。一年間で病院外心停止の症例は8091人に及び、研究終了後まで生存したのは5.2%, 退院できたのは4.0%であった。このうち筆者らは個人が特定できた生存者316人のうち85%である268人にコンタクトをとることができた。これら生存者の健康指数は平均0.80であり、これは年齢で補正した一般住民の健康指数0.83よりやや下回る程度であった。このうち市民によってCPRが開始されていた症例では健康指数がそうでないものを上回っていた。

この研究は病院外心停止の生存患者では対象数が最大であり、また生存者の健康状態は良好で、特にバイスタンダーCPRをされていた症例では特に良好であることが言える。この結果を受けて筆者らは、バイスタンダーCPRの割合の少ない郡では地方自治体や国がバイスタンダー教育を進めることによって大きな成果を上げることができるだろう、と結んでいる。

本稿執筆にあたっては、南宗谷消防組合消防署歌登支署 吉田寿美 救急隊員の協力を得た。

引用文献

1)JAMA 2003;290:1617-23
2)JAMA 2002;288:1987-1993
3)Circulation 2003;108:1939-44


<最新救急事情目次へ