プレッシャーを開放してくれた救急事例

作:北のバイク乗り

 平成3年救急救命士法が制定され、「プレホスピタルから始まる救急医療」の担い手として救急救命士が誕生しました。自分が消防に勤務したのがこの頃でしたが、救急救命士の養成計画はなく、他人事のように感じていました。

 それから約10年後、自分が勤務する消防でも救命士を養成することになりました。年齢、経験年数を考慮され、自分が研修所に行くことになりました。救急に興味があったので、行ってみたいと思ってはいたが、いざ行くことが決定すると、はたして自分が行って大丈夫なのかと不安になりました。このことを、定年退職した上司に話すと「救命士の研修に行くことが決まったんだね。6ヶ月の研修で大変かもしれないけれど、せっかくのチャンスだからがんばって勉強しておいで。」と応援してくれました。

 そして6ヶ月間の研修へ行き救命士としての知識技能を修得、国家試験を無事クリアして、救命士の資格を取得することができました。町の広報誌にもこのことが掲載され、町民の方々にも紹介されました。準備期間、研修期間が長かったこともあり、合格したときはなんともいえない喜びにひたっていました。

 しかし、その喜びもつかの間で、新たな悩みが生まれたのです。それは、救命士というプレッシャーです。職員からは「救急は救命士に任せたぞ」と言われ、町民からは「救命士がいるからもう大丈夫」と言われ、一つ一つの言葉が非常に重くのしかかってきました。現場活動はプレッシャーばかりで、思うようにスムーズな活動ができなくなり、自分が勤務のときに救急出動がなければいいなとまで思い始めました。資格を取る前の方がスムーズに活動していたようにも思えてくるほど、スランプに陥ってしまったのです。

 そんな中、現場のプレッシャーを開放してくれた救急事例がありました。

 それは、研修所へ行くことを応援してくれた上司が亡くなり、その方の葬儀の会場で起きました。自分もその葬儀に参列していたときです。葬儀会場で参列者の一人が急に胸の苦しみを訴えてその場に倒れ、救急車を要請することになりました。周りからは「救命士がいるから大丈夫だ」という声が聞こえてきます。この大勢の人の中で、具合の悪くなった方の観察と処置をしなければなりません。いつもにも増してプレッシャーを感じて「ここで失敗したらどうしよう」と、かなり弱気になったのです。

 その時です。亡くなったはずの上司が耳元で「研修所で習ったことを一つ一つ落ち着いてやれば、絶対大丈夫!」と話すのが聞こえたのです。一瞬耳を疑いましたが、確かに上司の声です。上司が近くで自分の活動を見守っていてくれているのです。

 安心感が生まれ、いつになくスムーズな活動ができました。患者さんは、意識は清明、顔面蒼白、冷汗あり、神経学的所見は異常なし、胸の苦しみを訴えていましたが、時間が経つにつれてだいぶ治まったとのことでした。着ている服を緩め、バイタルを測定し救急車を待ちました。救急車が現着し、観察した内容を救急隊に伝え病院へ搬送となりました。患者さんは、1日入院して次の日無事退院されました。この救急事例が、自分にとって救急活動に大きな自信をつけることになりました。この日以来、現場でのプレッシャーから開放されたように思えます。

 自分が消防に入ってから4年間一緒に勤務し「現場活動の難しさ」を教えてくれた上司、私の救命士合格を誰よりも喜んでくれた、その上司の葬儀の会場で起きた不思議な出来事でした。いつもどこかで、自分のことを見守ってくれている、この上司のことはこれからも決して忘れることはないでしょう。


<救急隊員日誌 目次へ