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060604あいつの死

作)やしがに

 連日熱帯夜が続いた夏の早朝、仮眠室にけたたましく119番通報のベルが鳴った。飛び起きた私に通信員が受信内容を伝える。CPA。救急車で10分程度かかる地区。傷病者名を聞いた。「何!?」にわかには信じられなかった。あいつとは同級生で、お互い違う道を進んでも妙に馬が合うやつ。いいことがあっても嫌なことがあってもいつも一緒に酒を飲んでいた。調子悪いとは聞いていた。でも「お互い太ったからな」と馬鹿言っていた間柄。

 出場途上、詳細が送られてきてた。口頭指導により家族がCPRが実施中、心疾患の既往があるとの内容だった。機関員に急げと下命し使用資器材の確認を行った。
 8分後に現着。玄関に入ると2階から1,2,3,4と心マのカウントする声が聞こえてきた。2階に駆け上がると両親がCPRを実施していた。その場を引き継ぎ観察ののちCPRを再開した。バックバルブマスクを揉みながら父親に聴取したところ「救急車が来る前にうっといって戻りかけたがすぐ反応がなくなった」と聞き、何とかなるかと思いつつ搬送を開始した。階段は狭く家族に手伝ってもらいようやく一階に降ろし救急車に収容した。病院に到着、待ち構えていた医師らによる懸命の治療もむなしく、あいつは帰らぬ人となった。

 救急救命士法が施行されて十余年。テレビでは連日のように救急救命士の活躍が紹介され、彼らの特定行為により救命することができたというニュースであふれていた。なのに我々隊員は全員標準課程。病院に向かう救急車の中であいつの足にしがみつきながら「救急の人は今は何でもできるんでしょう!!」と叫んだお母さんの声に「頑張ります」としか答えられない自分がいた。
 発症目撃あり、バイスタンダーCPRあり。反応があったのだから心室細動か心室頻拍だっただろう。なのになぜ助からないのか。救命の連鎖を断ち切ったのは私たち標準課程の救急隊員ではないのか。もし私が救命士で、資器材が揃っていたならすぐ除細動をしたはずだ。そうすれば今も一緒に酒を飲んでいたかもしれない。なぜ、自治体は法律ができて10年も経っているのに、なぜ満足な数の救命士を養成しないのか。

 あいつの死をきっかけに、私は他に何かできることはなかったのか考えた。本を読んだ。パソコンで検索した。そして、他では勉強し努力している人間がいっぱいいることを知った。驚いた。今まで自分は何をやっていたんだろう。今のままではいけない。できることからはじめよう。あちこちでかけるようになった。あいつは助かる可能性があったのではないか、やるべきことはあったのではないか。その答えを探すのだ。そしてそれは今も続いている。

 勉強する機会を与えられて、救急救命士という資格を取ってそれで満足してしまうやつがいる。一方で救命士でもないのにガンバっているやつがたくさんいる。AEDが普及し一般人でも除細動ができる時代になった。今後薬剤投与などの処置拡大も進むだろう。なのに、変化は上から降りてくるのを待てばいいんでしょうという救命士がいる。さらにはその事実すら知らないやつもいる。消防の人間だからそれはそれで生きていけるだろう。ただ、傷病者のためになるものならすぐにでも取り入れるべきなのじゃないか。
 私はもうそういう救命士に何も期待してない。でも住民は期待している。救命士が救急車に乗らないで現場に行くと家族はがっかりした顔をする。藁にもすがる思いで119番した住民にとって、救命士は藁ではなく救命ボートなのだから。


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07.5.27/11:58 AM