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「S・A・H」

作)山いるか 


100417還暦のロックスター セミナーを斬る 其の二 セミナーを切る 其の一 「S・A・H」 初夏の風 星になれたら 外傷性ショックって、何!? 


 -SAH-クモ膜下出血です。一時期「ザー」と訳していましたが、どうやら「エス・エー・エイチ」と呼ぶのが医療関係者では一般的というのを最近知りました。
 俗に「バットで殴られたような痛み」とか、後頭部痛、髄膜刺激症状が言われていますが、傷みが弱かったり、嘔吐が主訴だったり、これまでにいろいろな症状を経験しました。いずれにせよ刺激により再出血すると予後が非常に悪いので、救急隊としては極力動揺や刺激を避け、搬送に十分注意が必要で厄介な疾患です。 

 僕がクモ膜下出血の怖さを思い知ったのは、6年前の5月でした。この時期、北海道の米農家は田植えで忙しいのですが、妻の実家も義父夫婦だけで営む米農家であり、毎年この時期は例外なく忙しい日々を送っていました。 
 同じ町内なので、たまに手伝いに行くと孫の顔を見ながら本当に嬉しそうにビールを注いでくれました。ただ、この年だけは時折会話をさえぎる「今年で農家をやめる」という言葉が妙に印象に残こりました。 
 もともと高血圧があり、膝も悪くて痛みを我慢して仕事をしていたらしく、それが原因で肩が凝るとよく言っていましたが、いま思うと動脈瘤の影響だったのではないか、もう少し詳しく聞いていれば何かわかったのではないか、と後悔しています。 

 そして不安は的中しました。仕事を終えて頭痛がひどくなった義父は、かかりつけの診療所へ行くつもりで準備をしていたらしいのですが、着替え中に倒れたと妻から電話があり、勤務中だった僕は救急車で実家に向かいました。頭痛を訴えて倒れたと聞いて、まるでTVドラマのシーンのようにいままでの経緯が頭の中をフラッシュバックしていき、「脳出血か...」と思いながら現場到着を待ちました。 
 現場に到着し、義父は脱衣場で倒れていましたが、その時点では意識があり「大丈夫...」とかすかに話をしていたので、正直ホッとしましたが、予断を許さない状況に変わりはありませんでした。実家は幹線道路からかなり奥に入っているし、管内には脳外科医師がいないので、搬送にかなり時間を要します。とにかく慎重に刺激を与えないように収容し、病院へ向かいました。しかし、残念ながら再出血は防げませんでした。同乗した義母には冷静に状況を説明したつもりでしたが、今となっては何をどう言ったのかも覚えていないほど僕も動揺していたんだと思います。 

 その日のうちに緊急手術となり一命を取り留めましたが、大きな動脈瘤が二つあり、出血量が多く社会復帰は望めない状況でした。しかし、それでも一人娘の妻はあきらめずに病院に通い続けました。 
 「献身的」という言葉がありますが、まさにそのとおり来る日も来る日も通い続けました。ある日は孫の写真を見せたり、また、ある日は好きな音楽をかけたり一日中呼びかけていました。 
 その甲斐あってか、主治医も驚くほど奇跡的に様態は回復しました。人工呼吸は外され、リハビリが始まり、食事を口から摂れるようになると、時には笑顔を見せるようになり、簡単な読み書きができるほど意識は回復しました。車いすながら一時帰宅するほどでしたが、一昨年再び倒れ、二度目の奇跡が起こることはありませんでした。 

 いまでも妻の実家の目の前には地平線があります。澄んだ青と淀みない空気が流れ、夜には群青の空に銀色の月、ダイヤを敷き詰めた星空があり、相変わらず畑仕事を手伝った後には、グラスにビールが注がれます。 
 あの頃と違うのは義父が亡くなった3ヶ月後に産まれた次女の可愛い笑顔がひとつ増えたのと、テーブルに主がいないこと、ただそれだけです。


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10.4.17/12:46 PM