100417 初心忘れるべからず
作)オポジション
その日は珍しく朝から降雪があり、出勤にも苦労した。いつもどおり救急服を着て勤務に就く。前の勤務は十数件の救急出場があり、今日のノルマも10件ぐらいと同僚と笑い話をしていた。早速の救急出場指令、住所を聞いた瞬間に思わず「またかぁ。」と落胆した。
僕が救急隊として拝命される以前から救急車を頻回に利用している方で、いつも不定愁訴と飲酒で救急隊員を困らせていた。僕もこの頃は既に数十回以上、救急出場していた。前段の反応に共感してくれる方も少なくないであろう。そんな僕は、救急隊員として3年が過ぎ、自身の救急思想を後輩に説き、JPTECやICLS(当時はACLS)のインストラクターとして各地に引っ張りだこであった。
時間は午前9時を回ったところ、要請場所である自宅へ到着、玄関を開けると充満したアルコール臭の中、上がり口に座っている傷病者と接触した。「背中と腰が痛い。」第一声は飲酒により若干呂律が回らないような口調で訴えた。「はいはい。」と、いつもどおりの返答をしながら歩行が可能か否かを確認、いつもは元気よく「そんなものいらねぇ。」と返ってくるはずが今日に限って「連れて行ってくれ。」との返答であった。本当に優れた救急隊員であれば、この言葉で違和感を覚えるところだろうが、先入観を強く持っていった僕達は既に何も感じられるはずがなかった。むしろ、やれやれと思いながら担架を用意し車内へ収容した。
搬送先病院は、いつもの掛かりつけ総合病院、病院連絡のために発症経過を聞いてみると「朝から雪かきをしていたら急に背中が痛くなって。(アルコールを)飲んで様子をみていたが痛くってたまらないから病院へ行こうかと。今朝の雪は重かったからなぁ。」そのままを電話で報告し、病院からは整形外科で対応しますと返答があった。
元々口数の少ない方で、普段から何を聞いても面倒臭そうに少ししか返答をしてくれないこともあり、多くは問診せず病院に到着、電話のとおり整形外科外来の看護師へ引き継ぎ、病院を後にした。
何件かの救急出場をこなした夕方、再度同一傷病者から救急要請、「またかぁ。」とボヤキながら自宅へ到着した。玄関を開けると朝と同じシチュエーション、「今度はどうしたの?」の問いに「湿布をもらって帰ってきたが、酒を飲んでも痛みが治まらない。(病院に)連れて行ってくれ。」との返答であった。朝と同じように対応し搬送、病院へ引き継ぎ、すぐに他の救急出場指令がかかったため現場へ急行した。数ヵ月後、病院から初診時の所見等が記載された文書が送られてきて驚いた。「解離性大動脈瘤破裂、CPA、死亡」と記載されていた。
救急活動中に反省すべき項目は多々ある。これらを抽出し以後に生かすことは必要不可欠であり、当たり前のことであろう。しかしながら、今回の出場はそれ以前の問題であると考えるのは僕だけだろうか。何をどのようにすべきかは皆さんに委ねたいと思う。
翌年から雪が降ると初心に戻ることができるようになったことは伝えておきたい。
