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100912日常としての死

作)うりぼう

 祖父が死んだ。春の訪れを待つことなく、逝ってしまった。死が、もうすぐそこまで近づいていることに、僕も祖父も気づいていた。気づいていたというより、知っていたのだ。それは、いつの間にか再発していたがんがもう末期の段階だと分かっていたからでもなく、彼が天寿を全うしたと言えるほどに歳を重ねていたからでもなかった。

 僕たちは知っていたのだ。遠ざけてしまうことのできない死が、そこにあることを。

 僕たちにとって死は、非日常の出来事ではなかった。家の裏の空き地でひょっこり野良猫に出会うように死に出会うことを、家のドアをセールスマンが何の前触れもなくノックするように死が訪れることを、僕たちは経験的に理解していた。

 祖父は戦争を生き抜いた人だった。中国の広大な大地を千キロ以上も進軍し敗走した経験を、記憶の彼方からいつでも引き出せる人だった。そこにはたくさんの死が、日常として存在していた。死と向かい合い、死を受け止め、死を見届ける。中国戦線で祖父が目の当たりにしたものは何だったのか。それは間違いなく、日常としての人の死であったのだと思う。

 そして、今を生きる僕も、僕にとっても死は日常の中にある。火災現場で黙視した黒焦げの焼死体。生々しく覗くはらわたに眼は奪われ、人が焼ける臭いが鼻を突く。初めて目にしたとき、それは衝撃的な人の死だった。交通事故現場で救出した瀕死状態の運転手。耳や鼻の穴からは血が流れ、生気を失った眼はただ虚空を睨む。そこにあるのは悲惨な人の死だった。そして、救急の現場で遭遇した数多くの死。幼くして亡くなった者や天命を静かに終えた者。不慮の事故で命を落としてしまった者や自ら命を絶った者。人が死に行く瞬間に立ち会い、その死に抗い、最期まで手を差し伸べる。それが消防士であり救急救命士である僕の仕事だ。

 普通に暮らしていた人がある日突然、黒く焼け焦げた塊となって命を終えてしまうということは、平穏な日常を暗転させる特別な出来事に他ならない。昨日まで元気に働いていた人が、今日、帰らぬ人となってしまうことは、幸せな毎日を悲しみの日々に変えてしまうに違いない。しかし、僕にとってそれらは日常なのだ。

 僕と祖父はなぜだか気が合った。全くの他人なのに、歳も倍以上離れているのに、気構えることなく話ができた。戦地に赴いた兵士と、火災や救助、救急の現場に赴く消防士。もしかすると僕らは、死を日常のこととして見る癖を持った者同士であると認め合っていたのかもしれない。死は避け難く、しかも不意に訪れ、ときに残酷であることを身を以て知っている者同士であると。

 祖父は静かに旅立った。旅の準備に踊らされることもなく、特別なことなど何もないといったありさまで最期の時を迎えた。僕は悲しくなかった。ただ見送ること、それが僕ができることの全てだった。

 僕は、気管挿管・薬剤投与認定救命士だ。救急救命が毎日の仕事だ。僕は、僕のできること全てを全力でする。日常としての死と対峙しながら。


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10.9.12/11:48 AM