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110715我が消防人生に悔いはなし

作)田舎っピープ

 昭和49年常備消防化に伴い、私は鉱山労働者から大量採用の波に乗り、消防団員でもあったことから軽い気持ちで消防職員採用試験を受けて拝命したのである。

 当時は、高度成長時代とかモーターゼネレーションと言葉が舞っており急成長を遂げているときであった。民間景気が良いときだったので消防の初任給は2万円もダウンして、いきなり将来に不安を感じた。電気器具は真空管が主流でトランジスター時代幕開けといったところで電卓も今では想像もつかない大きさであり、ソロバンもできない私には夢の機械であった。ソロバンは指二本のせいぜい3桁の足し算、それが電卓では指一本でも大きな数字のかけ算や割り算まで出来てしまうのだから助かった。電気の技術屋だったので字もろくに書けない始末であり、和文タイプをガチャガチャ練習したものである。

 

 今までの消防は火消し消防でこれからは予防消防だとよく言われていて、消防法も大幅に改正され消防用設備等の点検制度などが施行された。私にはたまたま多少の電気の知識があったので予防技術を勉強して長く業務を担当することとなった。これと同時に救急隊員の資格要件である救急隊員の行う処置基準の通知による消防学校の講習を修了して救急隊員としての活動もしたが、こちらは単なる運び屋にしかすぎなかった。

 

 字がへたくそな私にとってはワープロの出現は2度目の夢の機械との遭遇であった、やがて個人でもワープロが持てる時期となり、自分で間違って買ってしまったJIS配列キーボードのワープロが、後のパーソナルコンピューターとの出会いに拍車をかけた。

 やがてパソコンを手に入れてインターネットも始めたばかりの時に救急業務の高度化が推進され、救急隊員の質の向上のためII課程の講習を私も受けたときに出会ったドクターに衝撃を受けた。また、ここで出会った仲間たちにも恵まれ、ドクターの誘いのまま複数のメーリングにも加盟し、数々の勉強会にも参加して遅ればせながら救急技術も向上した。思えば、パソコンを通じた仲間との出会いが私の消防人生を大きく変えたようだ。今、いわゆる運びやの時代を振り返るとゾーッとする。都会の救急車も田舎の救急車も同じでなければならないどころか、医療の過疎や搬送時間から田舎の方が高いスキルが求められると学んだのである。

 

 振り返ってみると何にも分からないで飛び込んだこの世界。決して平坦ではなかった。しかし誇れることもある。大量採用の団塊世代末裔の私は、後5年もすれば半分以上の仲間が去ってしまうことになると気づき後輩の育成に取り組んだ、わずか5年であったが、優秀な後輩達に囲まれ、真剣な眼差しで私に付いてきてくれて、ほぼ満足に引き継ぎができた。後継を育てることで自分が楽できると言われるが正にそれを実感したのである。田舎消防といわれても地域住民にしてみれば一国の安心安全を守る消防。常に頼られる消防を目指してきたつもりである。消防団員経験と併せて42年。我が消防人生に悔いはなし。

 


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11.9.18/8:58 PM