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160605_45歳からの医大生 其の弐

作)山いるか

 失意の山いるか少年は、就職組へと路線変更を余儀なくされ、滑り込みで地元のお隣町の消防本部を受験し、なんとか無事に消防士の道を歩みはじめた。 

 さて、とりあえず地方公務員という母親の目標には達した訳であるから、結果オーライでしょう。まぁ、数年頑張れば大学に行くくらいの貯金ができるかもしれないし、などと教員になる夢はあきらめていなかったのだが、就職してから直ぐに現実に直面した。

 当時はとにかく給料が安い!貯金なんてとんでもない。光熱費と車代で仕送りするお金も残らないんだから絶望ですよノ自暴自棄でしたねノ大学なんてすっかりあきらめて、やる気スイッチは完全にオフ。初任教育の厳しい環境も、高校時代に比べれば楽なもんだし、職場に戻っても体力だけはあるから、よく若気の至りとはいうけれど、とにかく自堕落で生意気な若造だった。

 しかし、そんな生活も救急救命士法施行の波が北海道の田舎町にも押し寄せると一変する。具体的に自分がどうなるのか、当時の山いるかには想像もできなかったけど、言いようのない期待と希望の光が閉塞感漂う環境を打破し、未来の道筋を明るく照らしていくのを感じていた。やる気スイッチ、再びオン!

 救急救命東京研修所は通称「エルスタ東京」と呼ばれ、全国から救急救命士を志す仲間が集まってくる。山いるかのような田舎モノには、八王子の片隅でも十分に都会だし、寮は個室で大浴場の他に大好きなサウナまである。

 これで勉強しないなんて罰があたるよ。最初の3ヶ月は、まったく週末も外出することなく集中して勉強した。むしろ平日は講義の予習や復習があるので、週末のほうが自分のやりたい勉強ができると思っていたくらい真面目に取り組んだ。

 研修生活の終盤は大いに遊んで東京を満喫したけど、おかげで国家試験も無事に合格し、田舎町の救急救命士第一号として、「第二の人生」を歩き出したといっても過言ではない。

 現場に戻ると就業前病院実習が待っていた。当時は、麻酔科にはり付いて一日中手術室で研修をおこなうのだが、指導医となった麻酔科長が大変に理解のある医師で、医療職としての基本をイチから丁寧に教えていただいた。しかし、山いるかは自分にまったく納得できない。バックバルブマスクも喉頭展開も静脈路確保も、何もかもが人形とは違い現場で使えるレベルじゃない。さて、困ったなと思いながら研修最終日に「もう少し通ってもいいですか?」と指導医にお願いし、それから数ヶ月間は指導医の都合がつく非番、週休日に病院へと通うこととなった。いま思い返すと、よくも職場から怒られそうなことを平気でやっていたなという反省と、わがままを快く聞き入れてくれた指導医のA先生とO病院のスタッフのみなさんに感謝の気持ちでいっぱいである。

 実は、このA先生が山いるかの大学院入学に際し、重要なキーパーソンになるのだが、そのお話しはまた来月。

つづく


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16.6.5/10:40 AM