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170820_45歳からの医大生 其の参

作)山いるか

就業前病院実習も終わり、意気揚々と救急車に乗り込む山いるか。しかし、当時は東京研修所で指導されてきた最先端の救急と、日々の業務に差があり過ぎて戸惑っていたのだが、そんな中でもA先生の存在は救いだった。外傷セミナーをはじめとする、各種セミナーをA先生の協力のもと、地域で開催することに熱中し、そこに集まる仲間たちが心のよりどころとなった。そして、月刊消防でもお馴染みのT先生と出会い、地方発信の救急隊員教育について、真剣に議論し構築していく中で、次第に救急救命士として自立していくのを感じていた。

思えば有珠山の噴火や洞爺湖サミットをはじめ、様々な災害派遣を経験したが、なかでも東日本大震災は人生観を変える衝撃的な出来事だった。震災発生直後、TVから流れる現実を、例えようのない不安とともに他の職員と共有していたが、まさか自分が第一陣で派遣されるとは思ってもいなかった。

派遣初日、日本海側の港は津波で全滅のため、秋田港から北海道隊の車列は南下して行く。眼の前にも後にも、ものすごい数の赤灯が群れをなし、およそ高速道路とは思えないほど慎重にゆっくりと進んで行った。

東北自動車道を古川で下車すると、家屋の倒壊は予想していたとおり、街は道路までゆがんでいて信号機は使いものにならない。そんななか、交差点では消防車の車列に黙礼をする人や、大声で手を振る子供達、ダンボールに「ありがとう」と書いて掲げる人もいた。自分はまだ何もしていない、現地入りする前に涙が溢れてきた。

石巻市へ入ると津波の影響でありえない場所に船や建物があるし、車はサイコロのように転がり、街は歪んで何もかも灰色に汚れている。海沿いの地区には圧倒的な絶望が広がり、戦争映画にひとり取り残されたような錯覚に陥った。

震災直後から、泥をかき出し必死にやり直そうとしている地区と、いまだ生命の鼓動も感じられない地区を目の当たりにし、いまある日常は、あたりまえの日常ではないことを痛感した。帰宅後、ありもしない余震を感じたり、沿道で黙礼をする被災者を急に思い出したりして眠れなくなってしまった。そんな時、長女が私立中学を受験したいと言い出し、その夢に向かって直向きに頑張る姿に父親ながら心が奮え、やり残したことの筆頭に大学への憧れが蘇ってきた。とはいえ4年も通っている余裕も時間もないし、知り合いの医師らに相談したところ、大学院で研究をするという選択肢が見えてきた。

もともと、救急救命士も学術的評価を高めなければ!と思っていたので、地域医療について漠然としたテーマは存在したし、論文に興味があったので医療統計学について学びたいと、公衆衛生学講座を先輩救命士に紹介していただいたのだが、なんと、そこの教授がお世話になっているA先生と医大時代の同期で、受験までの強力な援軍となり後押ししてくれたのだ。こうして医科大学大学院を受験することになったのだが、そのお話しはまた次号で。

つづく


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17.8.20/4:47 PM