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170820自由という課題

作)ウルトラマン

 
 「みなさんは自由です。好きなことして下さい。」
 「出来ることは手伝いますし、今入校している、初任教育中の学生は自由に使って頂いて結構です。資機材もどうぞご自由に。壊れたら教えてください。」
 日本には、こんな教育課程を取り入れている消防学校がある。

 課題が全くないというわけではない。最終日にテーマを決めて発表しろという。テーマはもちろん自由だ。消防学校の教官達は、これから消防士になる新人の初任教育で忙しいから、一緒に混ざって指導しなさいとも言われる。

 一人の学生が手を挙げた。
「教官。指導と言われましたが、教官の指導と食い違う部分が出るのではないですか?打ち合わせも何もしていません。消防によってやり方も違うでしょう。学生はきっと混乱しま・・。」「それで良いのです。」
まるでその質問を見越していたかのように食い気味な回答。学生は首を傾げる。

 教官は続ける。「ここの初任科生は、こうしなさいと言われればこうすれば良い。大多数についていけばとりあえず安心と思っています。」「とにかく疑問を持たないのです。」「こういう考えを持った隊員が現場で死ぬのです。」「私はこの誤った考えをなんとかしたい。」   
 私は、この教官のセリフが、単に新人の初任科生に向けられたものとは感じられなかった。

 「この世に“最低の学校”があるとすれば、それは教員全体が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業している学校だと思います。」そう話すのは、日本の哲学研究者である内田樹さんだ。教師も生徒も、全員が同じ正しさを信じていて(信じることを強いられていて)、異論の余地が許されていない学校は、知的な生産性からいうと最低の場所になるのだという。確かにそんな場所から何か新しい発見や、熱いディスカッションは生まれそうもない。

 私たちがこれまで受けてきた教育には必ず時間割があったし、授業の始まりはチャイムが教えてくれるから、時計も対して気にしない。時間割が組まれることは、教育を受ける私たちにとって非常に楽なことだ。優秀な教官が、私たちが理解しやすいようにプログラムを一生懸命考えてくれるので、私達は机に座って授業を聞いておけばよい。

 この教育課程はそう言った類のものが何にもない。全て自分たちで決める。計画、立案、資機材準備、データ集め、検証、そして検証結果を受けた次の計画立案。資機材の壊した言い訳・・・。

 「一番人気があって、一番人気がないのがこの教育課程です。」と教官は話す。何も考えなければ、それはそれで時間だけが過ぎていき、どんなひどい発表をしても卒業できてしまう。得るものが多いか少ないかは自分たち次第。教官の言っていることは正しいのか。教え方はこれでいいのか。データ取りは目的に沿っているのか。常に疑い、常に自問自答し、一つの答えを求めるのがこの教育課程なのだ。

 あなたは、この消防学校に入校したいと思うだろうか。現状維持は後退と同等。今日の常識は明日の非常識が医療の常である。自由という課題をあたえてくれる消防学校が、ここにある


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17.8.20/5:46 PM