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One Step Up 救急活動

最終回

天国に一番近い職業

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Lecturer Profile of This Month

鈴木靖(すずきやすし)
所属 北海道消防学校

年齢 47歳

出身 北海道鵡川町
趣味 スポーツ観戦
消防士拝命 昭和62年

救命士拝命 平成7年


one step up 最終回

天国に一番近い職業

救急救命士:人の命を救う崇高な職務

教育現場に身を投じて15年が経過した。

当時、救急救助係に配置されたが、「救急」より「救助」に憧れ、車庫で体力錬成やロープワークの訓練を行っていた。

そのような救急業務が救急救命士法制定とともに一気に加速しはじめ、今までの業務と一変することとなった。


救急業務の始まり
History of EMS

昭和6年 日本赤十字社大阪支部で救急業務を開始。
昭和8年 神奈川県警察部が横浜市に救急車を配置し業務を開始(消防機関による救急業務のはじまり)。
昭和9年 東京市で日本赤十字社が、交通事故の多発地点に救急自動車を配置。
昭和23年 消防組織法施行、10市町が救急業務を開始。
昭和38年 救急業務の法制化(全国で214市町村が救急業務を実施)。
昭和45年 自治省(現総務省)消防庁内に救急自動車研究会を発足(写真1)。

昭和51年 消防法を基に、救急業務実施基準が定められる。
昭和61年 消防法の改正。急病人を救急業務の対象とした。

 私が消防に入った頃の救急業務は、交通事故では「固定」と「止血」、三角巾の折り方が遅いと先輩に叱られ、急病では、痛みの部位と症状の聴取、心肺停止には心肺蘇生法、現場では、救急車まで「どの搬送資器材で運ぶべきか」「早く病院まで搬送しなければ」という思いで、現場活動を行っていた。

 搬送を急ぐあまり救急隊長を現場に置き去りにし、バックミラーに映る隊長の走る姿に冷や汗をかいたこともあった。

 署内でも救急の訓練はCPR。医学書を開き学習している者は数少なかった。


救命士の誕生
Revolution of EMS in Japan

☆欧米で助かる命が日本では助からない

 昭和61年、国民の応急手当への認識や、国民の資質までも疑われる大きな事件が発生した。同年1月24日、バレーボールのダイエーチームに所属、ワールドカップ、ロサンゼルスオリンピック代表であり、世界的有名選手フロー・ハイマン選手が対日立戦で試合中に意識を失い倒れた。しかし試合は中断することなく続行された。ハイマン選手は試合会場から担架で運び出され、搬送先の病院で亡くなった。この時の映像が米国のTVニュースで放映されると、「なぜ日本では応急処置をしないのか」との批難が沸きおこった。当時米国留学中だった知人は「日本人であることが恥ずかしかった」と語っている。1月31日に行われた葬儀は全米に放送されるとともに、アメリカナショナルチームは彼女の背番号7を永久欠番としたとも言われている。また、日本バレーボール協会も健康対策委員会を設置し、全選手に年2回の定期検診を義務づけたようである。

 一般市民には応急手当を、救急隊員には高度な応急処置を望む声は急速に高まるかにみえたが、まだ一般市民の心には「関わりたくない」「どうしていいかわからない」等の理由によりこの事件が救急体制を変えることはなかった。

☆医療にメス

 平成元年、フジテレビ系キャンペーン企画「救急医療にメス」の放送が開始された。ここでキャスター黒岩祐治氏は「医療のない救急車」を1年以上に問題提起し続けた。黒岩氏の目的は医療行為のできる救急隊員の実現であり、これはついに「社会問題」にまで発展したと記憶している。翌年には東京消防庁救急業務懇話会の答申で除細動を認めることや、同庁職員を看護学校へ派遣することが決定され、看護士救急隊という言葉も生まれた。後にこの答申を基に救急救命士法が制定されることとなる。

 救急体制の選択として、パラメディック方式かドクターカー方式かの議論があった。パラメディック方式は、当初、医師側(救急医を除く)を中心に反対の意見が多かった。理由は「医学部で基礎から勉強し、国家試験を合格したものが医療行為を行うことができる」ということである。確かに正論。私自身「自分が医療行為をすることになれば何年間勉強するのだろう」と不安を覚えた。とりわけ反対意見が多かった行為は気管挿管である。

 また、ドクターカー方式の賛成意見が多かったのは、昭和54年から兵庫県西宮市でランデブー方式(ドッキング方式)によりドクターカー運用が開始されており、一定の成果を得ていたことも要因にあったようである。

☆シアトルのパラメディック

 ご承知のとおりパラメディック式は米国の制度であるが、各州によっても教育時間、更新制度、生涯研修体制など様々であり社会構造も違う。私は以前4つの州の救急事情を調査した経緯があるが、「国が違うのではないか」と思ったほど千差万別であった。私がもし「理想の救急体制はどこですか」と質問されたら、真っ先にシアトルのメディックシステムを挙げる。

写真2
シアトルパラメディックの勤務中における研修。各隊は無線機を携行し、ここから出動していた

シアトルの優れた点はその救急体制はもとより、パラメディックスの教育(写真2)、市民の救急教育、そして民間救急の活用である。過去に多くの消防関係者がシアトル市を訪れ、多くのことを参考にしたことであろう。詳細については他の方々が多数紹介しているのでここでは避けることとするが、理想の体制と私は思っている。
写真3
ノースハイライン。休日の消防署の風景。大工や調理師など、様々な職種の方々が救急隊員の資格取得のために講義や実習を行っている

日本との違いを州に限定せず幾つか挙げると、基本的に有料であること、労働組合が存在すること、州により副業を認めていること、民間救急主体の州があること、高校生や一般人が休日や放課後に救急隊員の資格を取るため消防署で勉強していること(写真3)。違いを挙げればきりがないが、とにかく日本に事情とは大きく違う。

☆救急救命士法の誕生

 各立場で議論され、紆余曲折を経ながら平成3年に救急救命士法が制定された。それと同時に救急隊員の教育も改正され、新たに一定の教育を修了した場合に9項目の処置が可能となる救急隊員の養成が定められた。

 救急救命士は平成3年8月救急救命中央研修所(現東京研修所)で養成が開始された。当時、まだまだ少数資格であった救急救命士は、救急現場で活躍するほか、現行救急自動車の仕様変更や高規格救急自動車の整備計画、救急(警防)活動に係るマニュアルづくり、運用体制作りで苦労された方も少なくない。救急救命士の資格を取得しながら、現場で活動できないという方を見てきたが、その方々も定年となり、静かに職場を離れていっている。今の救急救命士の礎達であり、現在の救急高度化に尽力された先輩方々に敬意を表するとともに、心から「お疲れ様でした」と言いたい。

 救急隊員の教育では、各都道府県消防学校で救急II課程教育及び救急標準課程教育を開始した。私は救急II課程第1期生として消防学校に入校したが、終日行われる医師の講義、大きな音を立てて心臓を押す機械、心電図の伝送と喉頭鏡での異物除去と、今までに経験のない手技や器具に驚きを覚えたとともに、修了後に活動する上で、使命感より不安が先行していた。それと同時に、「このような高価な資機材が各消防で整備できるのか?」との疑問も湧いた。この課程を修了して感じたことは、救急隊員の資格取得講習で習熟できなかった部分を確実に身に付けたことである。その後の救急救命士養成所でも同じように、救急II課程での拡大9項目を確実に実施できるようになったと感じている。


個人スキルより隊のチームワーク
Teamwork first, personal skill second

 では、救急救命士養成所で得た技術を確実にする教育は何か。救急救命士の資格更新制度がない日本では、職場内訓練や、地域での研修会、現場活動を通しての技術維持、向上を図るしか術がないのが現状ではないか。

 では、現場での救命事案が少ない地域はどのように対応すべきなのか。私は救急救命士や救急隊長などの個人単位のスキルアップでは向上はあまり期待できないと感じている。無論、基本的には個人のスキルアップは必須であるが、救急活動は1人で行うものではなく、隊として活動しなくてはならない。状況によっては救助隊や消防隊、出動する現場によっては警察、自衛隊とも連携を図らなくてはならない。組織として考えた場合、そういった他隊との連携、他組織との連携も考えなくてはならない中、個人スキルのみを向上させることにそれほどの意義があるとは思えないのである。重要なのは、救急救命士と救急隊員の技術を最大限に発揮できるチームワークである。

写真4
薬剤投与講習。交通事故想定訓練

同じ目的意識を持って訓練している薬剤投与講習(写真4,5)や気管挿管講習の訓練を見ていると、個人の技量だけで活動している隊と、連携を重要視している隊とでは、特定行為に費やす時間に大きな差が生じている。こうした状況を鑑みると所属内の訓練、特に同じ隊での訓練が技術向上への近道なのではないかと考える。


法改正と将来
Revision of the law and the future

 救急救命士法施行から10年が経過したころから、法改正の動きが活発となってきた。

 一定の講習修了後の包括除細動、気管挿管、薬剤投与、今年に入って重症傷病者に対するエピペンの使用と拡大していく処置範囲であるが、そこでは常に医師法17条と向き合わなければならないこととなる。過去には東北地域での病院実習や現場活動における気管挿管事例や、さらに遡ると消防機関でのカンフル注射事案などがあった。カンフル注射に関しては、最終的に「医業を行うものとは解されない」として、医師法違反にはあたらないこととなったが、気管挿管は、全国の救急救命士に衝撃を与えた事案であった。しかし、それは彼らの真面目さ故に行われた行為ではないだろうか。私はその行為自体を正当化するつもりはないが、そこには「何とかして助けたい」という思いがあったに違いないと感じている。今後も活動の中で許されている範囲と、死に向かっている人間を目の当たりにする時、迷う気持ちが存在することは否定しないし、それが人間としての優しさの証明だと思う。ただそこには決して越えてはならない壁があり、その壁こそが法であり、身を守る術であると思う。

 次々と改正される法律。それに対応していくためには、学び続けるしかない。しかも新しいことを取り入れつつ過去の蓄積した技能を維持しながらである。世論の期待に慌てることなく、一歩一歩確実に前進すること、基礎を軽視することなく日々勉強を怠らないこと、それが医学の上に業を行う者の宿命であると考えている。

写真5
防災ヘリへの引き継ぎ訓練

 今や救急医療は消防救急、ドクターカーやドクターヘリ(写真5)など様々な現場で他機関との協力により成果を上げ、その形態も大きく変わりつつある。これからも世界の救急医療を参考にしながら、日本独自の救急文化を創っていくことを望んでいる。
救急隊はこれからも、専門職として専従化していく流れは今後も変わりなく進んで行くと思われるが、孤立化に進んでほしくはない。救急活動はチームプレーであり、個人の資質向上のみでは達成できないと思うからである。


まとめ
Writer's comment

 救急隊は人の命を救うという崇高な職務に従事している、言わば「天国に一番近い職業」であることを認識し続けることが大切である。また、救急隊員が日々、職場での事務、救急活動時の判断などで、思考を集中させ迅速な判断を行えるのは、いつも職責を理解し時には励まし癒してくれる「家族」があってこそである。そのことを忘れてはならない。

 これからも救急業務に従事している方々を消防学校教育を通じて応援していきたい。今後も全国の救急隊員の活躍に心から期待している。


参考文献
救急医療の基本と実際:情報開発研究所
救急医療にメス:情報センター出版局

シリーズ構成:若松淳 胆振東部消防組合消防署安平支所追分出張所
監修:玉川進 旭川医科大学第一病理学


一年間のシリーズ構成を終えて
Editor's comment

 一年間、この企画のコーディネートをさせていただきました。

 突然の執筆依頼にも、快く(?)引き受けていただいた執筆者の皆様には、心から感謝申し上げます。

 ほとんどの原稿は、自分がOff Jobで培ったものを、その道に精通した方にお願いして書いていただいたものです。

 こうした題材を取り上げて下さいとお願いしただけで、あまり詳しいレイアウトや、文章構成を伝えていなかったのですが、初回の「脳卒中病院前救護」で、恵庭消防の木村さんから見事に示していただき、以後の執筆にいい影響を与えていただきました。

 読者の皆様は、いかがだったでしょう、楽しんでいただけたでしょうか?

 ここ数年でトピックになった話題を選択し、救急隊員として活動し始めて、ちょうど慣れてきたという隊員の方々を対象に原稿を推し進めてまいりましたが、病院前救護については日進月歩で進化しております。これからもアンテナを高く、常に情報を持って日々の救急業務に役立てていただきたいと思います。

 そして最後に、こうしたOff Jobが成り立つのも、家族や職場の理解が第一であり、独りよがりにならないように、地域住民のための救急隊員でいたいとの願いを込めて、世界規模の災害に派遣されている、北海道消防学校の鈴木教官に書いていただきました。

 医学は学び続けるものとよく言いますが、もう一度、消防職員としてどう学んで行くべきか、そうしたジレンマに立ち向かう皆様の一助となれば幸いです。

 最後に、自分が座右の銘にしている言葉を記します。
 「将来を嘱望し、現状の発展を怠ることなかれ」

 ありがとうございました。

胆振東部消防組合消防署安平支署追分出張所
救急救命士 若松 淳


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09.7.25/11:34 AM