OPSホーム>基本手技目次>120527教育・伝承(11)介護福祉士から女性救命士へ

教育・伝承(11)

介護福祉士から女性救命士へ

月刊消防のご購読はこちらから

講師

友安陽子
(ともやすようこ)
tomoyasu.jpg
所属:東広島市消防局東広島消防署 救急係
出身:広島県東広島市
消防士拝命 平成9年
救命士合格 平成21年
趣味:車、ショッピング、飲み会、犬と遊ぶこと


シリーズ構成

西園与之

(東亜大学医療工学科救急救命コース)


教育
介護福祉士から女性救命士へ

1.はじめに

 東広島市消防局は広島県のほぼ中央部に位置しており、全国的に有名な酒処である東広島市と、平成21年に竹の町である竹原市、瀬戸内海国立公園に指定されている「神峰山」を有する大崎上島町の消防事務を受託しています。は寒さの厳しい山間部から温暖な沿岸部、島しょう部にわたる約797kの行政区域を1局・3署・6分署で組織し、職員278名で管轄内人口約221100人(内外国人登録者4830人含)の安全を守っています。

写真1
西条駅付近に立ち並ぶ酒蔵の町並み

 私の勤務する東広島市消防局・東広島消防署が管轄する町は、県内各方面からのアクセスが良好な立地で、学園都市と呼ばれる管内には大学が4校あり、学生も多く、また海外留学生が多数いる町です。観光名所は西条駅付近に立ち並ぶ酒蔵の町並み(写真1,2)で、冬には酒蔵の煙突から上がる白い煙が美しく、毎年10月には全国の日本酒を集め『酒祭り』が2日間にわたり盛大に開催されています。

写真2
マンホールにも酒蔵が描かれています

酒都西条の町は日本酒の香りで酔えるほどの盛況ぶりで、消防職員にはいろんな意味で大変忙しい2日間となっています。

写真3
庁舎。

 平成23年12月23日には旧庁舎から新庁舎に移転し、署の職員にとっては旧庁舎と比べ事務所、訓練棟、講習場所など恵まれた環境での勤務が始まり、身の引き締まる思いで勤務に従事しています。(写真3)


2.消防士になるまで

 小さい頃から老人ホームに勤めていた祖母の影響もあり、将来は介護の仕事がしたいと漠然と考えていました。高校3年で進路を決めるときには、卒業後は介護の勉強がしたいと迷いもなく専門学校に進みました。あまり勉強が好きではない私が2年間の専門的な勉強と介護実習を終え試験に合格して介護福祉士となりました。東広島市内の老人ホームでの勤務は食事介助、入浴介助、おむつ交換等日常生活の介助が主で、早出、遅出、夜勤、と勤務時間はバラバラ、肉体的にはきつい仕事でした。しかし、入居者の『ありがとう。』の言葉や『また来てね。』の言葉で癒され楽しく仕事をしていました。介護福祉士として3年目に、賀茂広域行政組合消防本部(現 東広島市消防局)で女性消防吏員募集があることを聞き、ただ漠然と消防の仕事に興味を持ち、消防署に願書を出しました。

 老人ホームには医師の常駐はなく、入居者の容態が悪くなると救急車を要請し、病院へ搬送してもらっていました。そこで見た救急隊の仕事に興味がありましたが、小さい頃からの夢が叶って仕事をしていましたので、どうしても消防士になりたかったわけではなく「受かれば転職してもいいかな」くらいの軽い気持ちでした。介護の仕事は勤務時間が不規則で、担当の入居者も割り当ててあったので、もし受かってもすぐには退職できる環境ではなかったように思います。施設長に消防士の試験を受ける話をし「受かれば退職させていただきます」と伝えました。一緒に夜勤に就いていたおばちゃんに「落ちたらどうするの?」と聞かれるまでは何にも考えていませんでした。今思えば自分勝手に「受かれば退職=落ちれば今のまま!」みたな感じで、採用試験は気楽な感じで受けていた自分がいたように思います。

3.採用

 平成9年4月、旧賀茂広域行政組合消防本部(現東広島市消防局)に初の女性消防吏員として採用。

写真4
毎日苦手な勉強ばっかりで頭がパンクしそう

 数日間職場での研修を終え、半年間の初任科教育課程のため消防学校に入校となり、1週間目で消防士となったことを後悔しました。最初の1ヶ月は毎日・毎日苦手な勉強ばっかりで頭がパンクしそうでした(写真4)。2週間目には同じ消防本部から派遣されていた教官の厳しさにダウンしそうで、ずっと椅子に座っての座学が続き、試験はあるし、男性と同じように走ったり、大声出したりなんの為になるのか・・・。「こんなことなら介護士のままが良かった!」なんて考えていました。1ヶ月を過ぎた頃から学校生活にも慣れて、初任科教育が終わる頃には『嫌だ!』っていう気持ちはなくなり早く消防士として仕事が出来るようになりたいという気持ちに変わっていました。(その頃は何が消防士の仕事をあまり理解はしていなかったと思いますが・・・)

 半年の初任科教育課程を終えて所属に戻り、女性は半年間警防隊、救急隊とをローテーションで経験し、同期で入った男性は各隊に配属され、男性と女性でこんなに扱いの違う職場なんだなぁ~と思いながら色々な経験をさせてもらい、あっという間に半年が過ぎ、ちょうど救急に興味を持ちはじめた翌年には、女性消防吏員でラッキー!と思えた出来事がありました。周りの男性職員よりは早くに救急標準課程に入校させていただくことになり、初任科とは違い楽しい学校生活を送りました。救急標準課程を終えるころ広島市で救急隊員シンポジウムが開催され、救急隊員が行える拡大9項目のデモに参加させていただくこととなり、救急に対して更に興味を持ち始めました。


*救急隊

 採用2年目からは救急隊に配属され、普通に生活していれば見ることもない凄まじい現場を体験しました。

 現場では女性だから「酔っ払いの近くには行くなよ!」(優しさで。)とか重たい傷病者を抱える時には「持てるか?大丈夫か?」と声を掛けられ、私は救急現場に出動している隊員なのか、傷病者なのか・・・?優しさで掛けられる言葉も、男性の職場であることを日々感じてしまい、分かっていたけど男社会。当時は女性が働きやすい職場ではないと感じていました。男性も同じで今まで職場には男ばっかりで気を遣うこともなかったことに気を遣い、仕事もやりにくかったことと思いますが。

 そんな事を思いながら救急隊として活動する中、仮眠室で布団を敷いていると、九州を出発した路線バスがバスジャックされ、広島県に向かっているというニュースが流れました。しばらくすると高速道路への出動指令が鳴り響き出動となりました。やはりバスジャックという世間を騒がすほどの大ニュース、その現場に女性隊員を配置するのは所属の指揮者は不安だったのでしょう。現場に到着し待機している間に召集した男性隊員と私を入替え対応しました。実際に負傷者は女性で適切な対応であったことは間違いありませんが、このような経験は男性職員にはありえないことで、逆に女性は優遇されて羨ましいと思う人もいたようです。仕事をしていくなかで、あからさまな区別を受けることもなく過ごしていた私にとっては、女性消防吏員は必要ないのではないかと感じていました。

*PTCJ→PTEC→JPTEC

写真5
Yさん

 現場での色々な思いのなか初めて救急車に乗って出動したときの隊長Yさん(写真5)。

 Y隊長に誘われて参加した外傷のコースは衝撃でした。

写真6
どんどん山の中へ

 色んな事を学びたいと思う私を誘い、島根県に向かいどんどん山の中に進んでいく(写真6)と、そこには全国から救急に対して熱い人達が集まって外傷のスキルを学んでいました。暑い中プレホスピタルの現場で必要なスキルを熱心に勉強する人達を目の当たりにして、ビックリしました。

 そこに集まる医師、救急救命士は【すごい】【面白い】って感じの人たちで、消防に入って2年目の私には救急の知識もスキルも何にもなく、何故このようなスキルが必要なのかを理解できる間もなく、「現場で必要なスキルであれば私も知りたい!」と、暑い中一生懸命スキル指導をするインストラクターと、必死に学ぶ受講者を見て必死で覚えようとしたことを思い出します。

 このPTCJ(現JPTEC)のコースを始めて見たとき、勉強なのに楽しんで参加できる環境が不思議な感じでしたが、防ぎえる死が多く存在している現実に目を向け、もっと救急のことを勉強して現場に役立つ救急隊員になりたという思いが一段と強くなりました。

 数年後、Yさんが東広島市で外傷コースを開催したときに受講することとなりました。私が受講した頃は広島県にインストラクターが少なく、遠方から指導に来られたインストラクターの方も多数おられました。

 私を知る人は『うそじゃ~!』と言いますが、【人見知り】&【緊張しい】なので受講することは大変勇気のいることでした。所属で指導をしていたのは私を誘ってくれたYさんだけで、「失敗しても何をやっても今後顔を合わせるのはYさんだけじゃわ。」と思い受講し、今でもJPTECのコースに参加して勉強をさせてもらっています。

*救急馬鹿

 いい言葉ですね。

 何かを一生懸命しないと言ってもらえない言葉だと思います。

 まだ外傷コースが今ほど行われていない時期に【救急馬鹿】って言われました。最初言われたときには「くっそ~ムカつく!」と思っていましたが、私にはたまたま救急のことを教えてくれたYさんを始め多くの先輩がいたから救急の勉強も続けてこれたわけで、ただ言われた仕事をこなすだけの毎日、目標も持てずに仕事を続けていくよりは馬鹿でよかったなと思います。  

 東広島管内で外傷コースを始めたころは、当消防局でも「JPTECなんか!」_という考えを持った人も多くいました。今もいるかもしれませんが・・・。正直、そんな考え方は分からなくもなく、自分が知らないことを自分より若い職員が学び、ましてや指導されるなんてというプライドもあると思います。私も先輩に連れて行ってもらわなければ、その立場になっていたかもしれませんが、今となっては初任科課程、救急標準課程、救助課程、救命士再教育課程など消防学校での教育の1つとして指導されており、MCの検証表にも採用されています。避けては通れない知識とスキルとなっているにも関らず、組織での対応は難しいのか、必要性の理解は低く、救急救命士再教育でプロバイダーコースを受講することができる救命士以外では自己負担で受講しており、個人の負担が大きいように思います。

 救急に限らずですが、消防職員として消防の中で何か1つでも一生懸命できることを見つけられると自分自身の自信にもなると思いますので、これからは私が先輩達から教えてもらったことを現場で活かし、市民が安心して生活を送れる環境の提供をしていければと思います。

*痛い

 当消防局には女性職員が勤務できる場所が限られています。

 毎年3月末には人事異動が発表され、男性職員はダンボールに自分の荷物を詰めて異動の準備を始めます。私は新庁舎で引越しのときにダンボールに荷物を詰めたのが初めてでした。毎年荷物をまとめるのも大変そうだなぁ~という思いと、少しうらやましくもあったり、異動がなくてよかったという気持ちもあったりして、そんな私にも約8年前、ずっと救急隊で異動もなかった私に係内での異動がありました。原因は【腰痛】でした。

 その頃の女性は日勤勤務か救急隊配属しかなく、調子が悪くても隊を変わってもらうなどありえない状況でした。病院で湿布をもらい注射で痛みを取り出動していましたが、空のストレッチャーを降ろすだけでも腰に激痛が走り、とうとう医師から「しばらく救急隊から外してもらいなさい。」の言葉。そのことを当時の係責任者に話して警防隊への異動をお願いしてみました。そのときの言葉が「大型免許取ってから言え!」。まさかの言葉でビックリするやら、腹は立つやらで・・・。男性ならこんなこと言われることはないんだろうなぁと思いつつ、負けず嫌いの血が騒ぎました。

写真7
化学車とともに

 当消防局では年間に数名は公費で自動車学校に大型免許を取りに行かせてもらえますが、公費で行けない人は自費で免許センターに大型免許を取りに行って取得している人も多くいます。その頃、同期が免許センターで大型免許を取得しており、どうやったら大型免許が取れるのかを教えてもらい、すぐに予約の電話をしていました。免許取得までは、勤務明けに免許センターに行き、試験を受けて肩を落として帰る。落ちても楽しかった記憶があります。さすがに5回目に落ちたときには『お金が・・・』。こんな日が1ヶ月半続き、6回目の試験でやっと合格(写真7)して警防隊にプチ異動となりました。


4.救急救命士

 東広島市消防局では現在女性が4名、うち3名は同期で私を除き予防課と庶務係で勤務しています。私はずっと隔日勤務しか経験がなため、内勤の大変さは分かりませんが、2人とも異動したころは大変そうでした。大変なのは男性も女性も同じだと思います。主婦業と仕事の両立を上手にこなしながら頑張っているようです。もう一人の女性は私と反対番にいる若くてかわいい女性救命士ですが、専門学校で資格を取得し、消防吏員となっており、私より先輩救急救命士です。

 平成9年に採用されたときには救急車には救急救命士が常に乗務しており、おんぶに抱っこ状態で救急救命士が観察をして、無線で指令課に患者情報を送り、指令課員が病院連絡をして、受入れが決まれば救急車に無線連絡があり搬送するという流れでした。

*むかし

 初めて救急車に乗ることとなった日は3名の救急隊に私が1人追加され4名乗車で私の初出動の日でした。朝から資機材の点検と訓練をしていると初出動の指令が流れました。初めての傷病者は心肺停止の状態で、その頃は心電図を病院へ送る伝送装置なるものが積載してあり、必要な資機材は全て現場へ持参するのですが、これがまたケースにピッタリサイズの機械で上手に入れなければケースからはみ出て・・・。その頃はまだ【かわいげ】もあり、無理矢理押し込んでごまかすなんてことも出来ずに「すみません。入らないんです。」って言ったことを覚えています。

 むかしの失敗は多々ありますが、現場で怒られ、搬送後の車内で怒られ、署に帰ってから反省の訓練をし、当時は『うるさいなぁ~』なんて思っていました。今思い出せばあの頃疲れているのに夜遅くまで搬送した傷病者の病態や観察・処置について色々教えてくれた先輩や、怒られてウルウルしている私をフォローしてくれた先輩がいたからこそ今頑張っていられるんだと、むかしを思い出しながら【もう少し先輩の言うことを真面目に聞いておけばよかった】と反省です。

*やる気なし

 本当に馬鹿みたいに救急が好きでACLS,BLS,PCECなどの講習を受講していましたが、救急救命士になりたいと言っていた先輩Wさんが、救命士の希望調査に【行きたい】と出しても選ばれず、選ばれた人は横で「行きたくない」なんて言ってるのを見て、いくら現場で傷病者のために頑張ったって決めるのは現場を見てない人が決めるんだなー、何の希望調査なんでしょうか?と聞きたくなるような希望調査。

 数年後にはWさんは救急救命士に合格され、一段と頼りになる先輩となりました。その頃警防隊にいた私は査察や火災出動で火災書類を覚えることが精一杯で、救急の勉強なんて全くすることもなく、救急救命士になりたい気持ちはなくなっていましたが、救命士の人との飲み会にはまめに参加しており、「救命士の希望出したか?」など言われていました。別に救命士にならなくても特定行為以外のことはできるし、何の問題もないんじゃないのかなぁと思っていました。救急隊は夜も布団に横になったらすぐに出動指令があり、非番日も眠くて帰ったらシャワー浴び、すぐに布団にもぐりこんでの毎日は時間がもったいない気がしていました。

*復活

写真8
JPTECコース

 JPTECのインストラクターとなり地元東広島市でのコース開催で始めてのCC(写真8)をさせて頂いたときに私は救命士ではありませんでした。コースの運営をするのに協議会への申請、会場準備、資機材調達、スタッフ集め、受講者募集とやることが沢山ありすぎて、コース開催までの数ヶ月間は何から終わらせていけばいいか分からない私を導いて支えてくれた先輩や他本部の世話人さんには本当にお世話になり、コース当日もスタッフにまかせっきりの状態だったにも関わらず、参加していただいたスタッフや一生懸命勉強してコース受講してくださった方達は「良いコースだった。」と言ってくださいました。コース終了後の反省会で感極まって泣いてしまいましたが、私が泣いたのを見た人には忘れてもらいたいですね。

 きっかけは受講者の方で看護師さんでした。救命センター勤務とか外傷患者を多く受入れる病院勤務ではなく、個人病院に勤務されており受講希望のメールには『友人に聞いて興味はありますが、院内にはJPTECをしている人がいないので内容は良く分かりませんが、受講できるのであればテキストを読んで頑張りますので受講させていただきたいと思っています。よろしくお願いします。』と書いてありました。私は「受講、お願いします。何か疑問があればメールいただければ分かることはお答えします。」みたいなことを送りました。その方はモチベーションが高く次の日から質問の嵐で、コースまでは個人的にメールのやり取りをしながらコース当日に初めてお会いしました。コースでは現場活動を想像できずに色々大変そうでしたが、コース終了後のメールで「今まで知らなかった現場での活動を知ることができ、助かるはずの命がありその命を繋げようと休みの日まで勉強をしている熱い消防士さんたちに会えて良かったです。ありがとうございました。」(本人に許可を得てメール内容はそのまま記載させていただきました。)と言って下さいました。今は結婚をされて子育てを頑張っておられ、今ではメールのお付き合い程度ですが、【知らないことを学ぶ楽しさ】【同じ目的を持って学ぶ仲間】の大切さを思い出させてくれた人でした。

 このコースは私の希望で管内の救急救命士の資格を持つ方は受講をご遠慮いただき、受講者は救命士以外の消防職員、標準課程修了者、医療従事者としました。現場から病院収容までの間にしなければいけない最低限のスキルを身に付けることで現場での活動を知ってもらいたいと願ってのコースで、かなりわがままを言ったのですが、私が救命士の資格もなくコースを受講するにあたり救急標準課程で受講できる環境が少なかったことを理解してくれた先輩と、指導スタッフのおかげで無事に終えることができました。このコースで人との繋がりや知らないことを学ぶ楽しさを思い出させてもらい【一歩を踏み出さなければ何も始まらない】と考え、やっぱり救急救命士を目指して頑張ろうと思ったきっかけとなりました。


*救命士

写真9
救命士として救急車へ

 平成21年に救急救命士の国家試験に合格し救命士として救急車に乗務することとなり(写真9)今に至っていますが、救命士になって以前と違うことは傷病者の観察に幅が持てたことと、適切な病院選定・搬送を心掛けるようになったこと、行う処置の責任。やはり特定行為は救命士ではできないことですが、若い人たちにも観察の必要性は理解してもらいたいし、救急隊として必要なスキルは身に付けてもらいたいという思いは変わりません。救命士になったからではなく、傷病者にとって安心できる救急隊員でありたいと思っています。


5.先輩

写真10
I(あい)さん

 我が消防局にはすごい人がいる(私が勝手に思っているだけ)。その人は勉強もさることながら、救急の予算事務なんかも嫌な顔せずにこなし、痛風が発症すると腫れ上がった足を引きずりながら出動する。私の中学校時代の先輩でもあるIさんは、普通は立入るのを躊躇するような現場でも躊躇することなく靴を脱ぎテクテクと入って行く。そして傷病者にはいつも優しく話しかけている。その姿を見ていつも『汚い』と思っている私は優しくないと思いますが、少しは清潔にしてないと病気になるんじゃないかと心配です(写真10)。

 いろいろな先輩のおかげでPTEC、BLS、ICLS、PCECなどの講習に参加させてもらう機会に恵まれ、勉強嫌いの私が勉強を続けることができました。今まで現場で怪我もなく活動できているのも多くの先輩達の姿を見て学んだ安全管理の徹底であったり、接遇であると感じています。


6.さいごに

 私は救急以外はお手上げ状態ですが、現場でも事務所でも先輩の背中が勉強の材料となっています。良いところだけを自分も真似て、1度の失敗は気にせず(反省はする)同じ失敗を繰り返すことのないよう自分で考えて行動できるように私もなりたいし、若い人達にも自信を持って仕事をして頂きたいと思います。

 教育・伝授というテーマに私の経験では伝えることはないような気がしていましたが、この機会を与えていただけたことが、私に対する教育になったように感じています。

 原稿はギリギリ、メールの返信は遅い私を怒らず待っていただきました玉川先生、西園先生ありがとうございました。


OPSホーム>基本手技目次>120527教育・伝承(11)介護福祉士から女性救命士へ


http://ops.umin.ac.jp/

12.5.27/10:30 AM