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140810北海道ハイテクノロジー専門学校救急救命士学科「卒業生たちの10年」(10)妹の事故から救命士の道へ


1 自己紹介
氏名:松本 康宏(まつもと やすひろ)
出身:北海道茅部郡鹿部町
出身学校:
北海道ハイテクノロジー専門学校 救急救命士学科 第10期卒
所属:南渡島消防事務組合
   鹿部消防署(平成16年拝命)
経歴:平成16年 警防係
平成20年 警防係兼救急係
平成23年 警防課救急係
平成25年 予防課予防係
(写真1:正面写真)


シリーズ構成


浦辺隆啓
うらべたかひろ
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日産クリエイティブサービス
陸別PG・車両管理課 レスキュー隊救急救命士


北海道ハイテクノロジー専門学校
救急救命士学科
「卒業生たちの10年」

サブタイトル 〜妹の事故から救命士の道へ〜

はじめに月刊消防掲載という素晴らしい機会をいただきましたので、鹿部町(しかべちょう)について少し紹介させていただきます。鹿部町は人口約4,400人、北海道の南端・渡島(おしま)半島の東部にあり、駒ケ岳(こまがだけ)山麓の一角に位置します。東西16.5H、南北19.0Hで、面積は110.61Iです。気候は、北海道の中では1年を通じて比較的温暖で、春と秋が長く、湿度が低く爽やかで過ごしやすいのが特徴です。夏は南西から、冬は北西からの風が多く、気温は最も寒いときはマイナス14度前後、夏の最高気温は平均25度前後で、30度を超えることはあまりありません。降水量は北海道の中ではやや少なく、雪も比較的少ない地域です。漁業が盛んで、町内には大小3つの漁港があり、スケトウダラやホタテをはじめ、昆布、タコ、ナマコ、カレイ、ホッケなどが水揚げされます。また水産加工業も盛んで、タラコをはじめ多くの水産加工品が出荷されています。町内には温泉も多く、30箇所以上の泉源があり古くから温泉のまちとして多くの人が訪れています。また温泉掘削中に吹き上げた間歇泉は全国でも珍しい温泉で、「しかべ間歇泉公園」として整備されています。
(写真2:鹿部町間歇泉公園)

南渡島消防事務組合は北斗市、七飯町(ななえちょう)、鹿部町の1市2町で構成され、3消防署、1分署、1出張所、4分遣所を配置しています。

私の所属する鹿部消防署は21名の職員が火災・救急・救助の消防業務を兼務する形をとっています。救急業務については年間約260件の救急出動を6名の救急救命士を中心に高規格救急車2台(1台予備)を運用し対応しています。では、私が民間の救急救命士養成学校から現在に至るまでのお話をさせていただきます。
(写真3:救急訓練風景)

2妹の事故

高校時代将来への展望に対して確固たるものもなく、進学か就職かを模索しているとき、親の勧めもあり恵庭(えにわ)市にある専門学校の体験入学に参加しました。この学校は救急救命士を養成する学科があり、実際に使用する救急資機材に触れ、心肺蘇生法などを体験することにより私の中で救急救命士になるという選択肢がこの時に生まれました。そしてその選択を決定付づける出来事が起きました。それは妹の交通事故です。

友人の家で遊んでいた時、家族から妹がトラックにはねられたと連絡があり友人宅から自転車で現場へ駆け付けました。妹は既に救急車へ収容されて現場を出発するところで、私も救急車へ同乗させてもらい一緒に病院へ向かいました。その時はもちろん医療の知識はないため、ストレッチャーの上で意識朦朧になっている妹の手を握ることしかできませんでした。病院到着までは約1時間ありその道中はとても長く自分が何もできないことが歯がゆく感じました。幸い大事には至りませんでしたが、救急車内で救急隊員の迅速・的確な処置をする姿を見て、再度自分を救急隊員、できるのであれば高度な医学知識を持ち特定行為のできる救急救命士になりたいと思いました。

3.養成学校の勉強法

これから民間の救急救命士養成学校を入学する人、まだ在学中の皆さんに自分が伝えたいことは基礎が大事であるということです。私たちは専門学校で初めて医療分野と触れ合います。特に専門学校1年生で勉強する解剖生理学は特に重要で、全ての基礎となりその後の病態別疾患の理解に必須の知識となります。そのことからも解剖生理は1年生の時にしっかりやっておくべきです。

しかし私と言えば、いままで勉強したことのない医療分野ということもあり、初めて見る漢字や単語があり、学ぶこと全てが難しく、自分の選んだ道の困難さを痛感させられました。国家資格である救急救命士になるための道のりは厳しく、専門学校時代は毎日勉強していたにもかかわらず中期試験・進級試験での1発合格はほとんどありませんでした。

これは効率の良い勉強法がわからないことが原因でした。例えば教科書の重要なところにラインを引くのですが、ほとんどの部分に線を引いてしまいどこが重要かわからなくなる状態でした。

この状況から抜け出したいと優秀な友人に勉強のやり方を聞き取り入れました。それでも定期試験には苦労しましたが、今思えばやり方を聞たことで卒業できたと感じています。

勉強は効率が大切です。自分のやり方では劣等生から抜け出せないのなら友人のやり方を真似してみましょう。


3 専門学校から消防職員へ

 私は消防についての知識はほとんど無く、火災・救急・救助の現場活動以外にどのような事をしているのか全く分かりませんでした。実際職員になるまでは出動するだけでいいと思っており、デスクワークとは無縁だと思っていました。デスクワークなど消防には関係ないような感じはしますが、出動報告書作成も仕事の一つです。文章の作成では文章力が必要になってくるので、いまだに悩むことがあり、国語をもっと勉強しておけば良かったと思う時が多々あります。

 救急活動に関しては養成学校での訓練を通じて多少なりとも力をつけていると思っていました。しかし実際の救急現場では思い通りの行動ができず、活動の難しさを出動するようになってから初めて感じました。訓練と現場の違いを一番感じたのは失敗できないという緊張感です。訓練では失敗しても次があります。しかし救急車を必要とする人に同じ状況、同じ症状で出会うことはないのだと、傷病者を搬送しているこの瞬間に持てる技術を発揮しなければならないという重圧をいつも感じるようになってきました。

 出動時の不安を克服するため、先輩や後輩たちと日々の訓練や出動することで経験を積み、署外では当組合内で定期的に行う救急救命士訓練、病院実習では医師や看護師の処置・接遇などを間近で見ることで自分自身の糧としました。今では救急隊長として出動することもあり、これまで経験したことを後輩にも同じように伝えています。
出動以外では、全国消防救助技術大会や渡島・桧山消防職員意見発表会にも出場させてもらったことも自信に繋がっています。
(写真4:全国消防救助技術大会写真)。

 
 私が住んでいる鹿部町で毎年8月に「しかべ海と温泉のまつり」という町最大のイベントがあります。その催し物で消防職員・団員がやらせてもらっている「はしご乗り演技」で乗り手をやりました。鹿部町の消防職員になっていないとやることができなかったので、とても貴重な経験ができたと思います。
 (写真5:しかべ海と温泉のまつり はしご乗り演技の写真)




4 初めてのCPA

貨物列車と重機の衝突事故で重機の運転手がCPAとなったものでした。

当時の私は消防学校で半年間の初任教育から戻り、救急隊員として活動して8ヵ月が経過していました。通報内容は重機と貨物列車の事故でそのうち重機に乗っていた運転手は意識不明とのことでした。救急車へ乗車し資器材の準備をしながら処置のイメージをしながら現場へ向かいました。現場へ到着すると傷病者は線路の横で同僚に付き添われ仰臥位でいる状態でした。初めて現場でみるCPA状態の傷病者はまだ温かく私の処置で助けてあげたいとは思いましたが、初めてのCPA事案で頭が真っ白になり体が動きません。一緒に出動していた先輩が助言をしてくれたお陰で気持ちも落ち着き、その日は雨天ということもありCPRを継続しつつ車内収容を優先しました。

多発外傷・CPA・現場が山奥のため電話連絡ができないということもあり隊全体としても思うような活動はできませんでしたが、何より自分の力の無さを実感した事案でした。もしこの時先輩の救急救命士が同乗してなければどうなったか、今事案は貨物列車でしたが乗客がたくさん乗車している列車だとトリアージも必要になるなど、経験が少ない時代にそのような事案があったらと考えるとゾッとします。


5 学生と若い消防士へ

 小規模消防は火災・救急・救助の業務を兼務するため、覚えるべきことがいっぱいあります。救急業務に関しては救急救命士養成学校で勉強していたことが役に立つことはありますが、知識はあっても経験値がないので、いざ現場に出るとどうしていいかわからなくなったりする人もいます。救急救命士だけに限りませんが、特に救急救命士養成学校を卒業した消防士は自分が救急救命士だからなんでもできると思って天狗にならないことです。知識があっても現場で動けないことには何も意味がありません。

救急業務以外では、予防・警防・庶務などいろいろな課や係があり、それぞれやるべき仕事は違いますが、どれも大事な仕事なので与えられた仕事は全力で頑張ってください。消火栓・防火水槽付近の除草・北海道の冬だと除雪もあります。特に除雪は除草と違い、毎日雪が降ると除雪にいかなければならないので大変ですが、消火活動するために水利の確保をすることはとても大切な作業です。

あくまで「消防士」なんだという気持ちを心に持ち、地域住民の生命・身体・財産をしっかり守るために頑張っていきましょう。

6. 結び

この原稿を執筆するにあたって、専門学校を卒業してからの10年間であるこれまでの消防人生を振り返ると、長いようで短い10年でした。

専門学校時代、自分は劣等生だと自己嫌悪に陥った時、支えてくれたのは寮生活で寝食を共にし、同じ目標を持つ仲間たちでした。学校での補習や寮で仲間たちと一緒に勉強会をやり、時には口論する事もありましたが、同じ目標をもつ仲間同士で過ごした3年間は私の人生の中で有意義でかつ素晴らしいものでした。

これまで出会ってきた方々に感謝し、さらにこれからも出会いを大切に支えあいながら日々精進していきたいと思います。

最後に月刊消防で原稿を執筆させていただく機会を与えてもらいありがとうございました。


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14.8.10/9:58 AM